越銘醸 酒造りの始まり
Story of Koshimeijo
雪国の知恵、雁木が連なる雁木通りにあり、城下町特有の遺構でカギ形に曲がった武者隠しを抜けると越銘醸株式会社があります。酒造りの時期に城下町特有の風情薫る建物を見上げれば、蒸米作業から出る蒸気が勢い良く立ち上るのを見ることができます。 さて、越銘醸が造る酒の歴史は、江戸時代にまでさかのぼります。創業を1845年(弘化2年)。徳川家慶が江戸幕府第12代将軍を務めていた時期に、当時の醸造業免許制の1つである「酒造株」を、現当主である小林家の縁戚にあたる多田家より購入したところから始まりました。 その越銘醸の起こりに関わる「酒造株」について、簡単に説明しておきましょう。酒造株とは、将棋駒の形をした木製の鑑札の見た目をしています。表には、酒造人の名前と住所、そして酒造石高が記され、裏には「御勘定所」の文字、そして焼印が押してありました。これが酒造株と呼ばれるものです。そして日本史の中で「酒造株」を言うときには、この酒造株をとりまく制度全般を酒造株もしくは酒造株制度と呼ぶようになりました。 現代で酒といえば日本人はもちろんのこと、昨今は外国人からも日本の代表的な嗜好品として広く好まれるようになりました。しかし当時、東北や北陸などの北国諸藩においては身体を温めるための生活必需品として用いられたのが酒です。一方で、その酒を造る原料が収穫量の定められた限りある食材である「米」だけに、その配分については幕府の経済課題でもあったのです。そこで、酒蔵の規模や生産能力に合わせどのように配分するか、またすべての酒造が公平に米を仕入れることができるよう免許制にしたのが酒造株制度です。

 天明7年(1787年)3月4日、火災により酒蔵一帯が消失しました。当時あった山城屋、山家屋(やまがや)が焼けましたが、酒造りの必要性から大急ぎで建て直されました。約220年前の事です。
現在ある比較的新しい酒蔵は昭和に建てられたもので築80年程。古い土蔵は外見こそ古いですが、内壁がステンレスで、巨大な冷蔵庫のようなものです。そこでは菌床の作業が行われています。
 このように越銘醸はその草創期から、様々な災害や歴史の波にもまれながら、現在も精力的に酒造りを続けています。ここからは、越銘醸誕生における、大きなターニングポイントとなる2つの酒蔵の合併のお話です。

 その昔、栃尾では、小林家の山城屋、今成家の山家屋(やまがや)という2軒の酒造店が、江戸時代から明治、大正、昭和まで酒造りをしていました。昭和9年、物不足のあえぐ世相の中、山城屋と山家屋が合併し、栃尾町(栃尾は昭和29年に市政施行されるまで、栃尾町でした)第一号の株式会社となりました。山城屋と山家屋がそれぞれ当時の金額で20万円、10万円を福田屋旅館や恵比仁などの料亭、大和屋や三崎屋などの醤油屋が出資し、資本金50万円で設立されました(福田屋旅館、恵比仁、三崎屋醸造は現在も営業しています)。
 今成家は栃尾随一の資産家で、当主は東京新宿に住まい、栃尾の酒蔵は番頭に基本経営を任せていたといい、そのような背景から、合併を選択したと考えられています。
 当時の資本金50万円を、米価を基準に推測すると、現在の1千万円ほどではないかと言われていますが、金相場から推察する昭和9年の貨幣価値は、1円あたりが現在の1500円〜2200円(金相場の変動により、推測に幅が出る)。中間をとって1円あたり1850円として現在の金額に換算すると、9億円を超えることになります。いずれにせよ現在の栃尾で出資を募ることを考えたとき、俄かに想像しにくい数字であり、当時の栃尾の経済が現在とは比べものにならないほど活発であったことが伺えます。
 この合併時に名付けられたのが、現在の社名である越銘醸株式会社です。

 現社長の小林は昭和45年に越銘醸に入り、すでに半世紀を数えました。酒蔵が大変な時を何度も経験しましたが、その中でも平成16年の7.13水害を振り返り、こう語ります。その水害の折、蔵の真裏の山に土石流が起き、真夜中、轟音とともに山が崩れました。不景気と日本酒の不人気とにあえぐ中の災害でしたが、不幸中の幸い、沢に置かれた丸太がダムになり、僅かに谷を外れ直撃をまぬがれました。地域に甚大な被害をもたらした土石流で、直撃した場合、廃業の憂き目にあっていた事でしょう。また、同年10.23に発生した中越地震もまた地域に大きな被害をもたらしました。しかしながら、そのような大災害にもかかわらず、当時長岡にあった17の蔵元の中で、最も被害が少なかったのが越銘醸です。いくつかの蔵元が土蔵を崩す被害に襲われる災害の中、越銘醸では一升瓶1本割れることがありませんでした。

 戦国最強の武将上杉謙信が青春時代を過ごし、初陣を飾った土地。全国に信仰を広め、東京秋葉原の語源ともなった秋葉信仰発祥の地。神々の加護を受け、縄文の時代から人々が暮らすこの栃尾という雪国の小さな町で、わたしたち越銘醸は、地元の米と水、代々受け継がれた蔵や文化と真摯に向き合いながら、酒造りを続けています。